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フィルムEOS史①

  • 写真部 早稲田大学
  • 4月9日
  • 読了時間: 3分

1985年2月、それまでのカメラ界を揺るがす名機が発売されました。

ミノルタ社のα-7000です。

世界で初めて実用的なAF機構を搭載した一眼レフとして爆発的な販売実績を残しました。

カメラメーカー各社はこの超新星を前にAF化へと舵を切ることになりました。


当時すでに日本を代表するメーカーであったキヤノンも同様でした。

当初のキヤノンは、旧来のRマウントから規格変更をしつつ27年続いたFDマウントでAF化を進めようとしていました。それがFDマウント最後のシリーズとなったTシリーズのT80です。

Tシリーズの中でもT80のみがAFに対応し、さらにAF対応レンズは

AC35-70mm F3.5-4.5

・AC75-200mm F4.5

・AC50mm F1.8

の3本のみ、かつ全てのレンズにたんこぶのように飛び出たモーターが付いているという仕様でした。

当時αシステムを展開していたミノルタ社は、ボディ内にモーターを搭載し、カムで連動させてレンズを動かすという手法を採用していたため、レンズを従来のMFレンズと大差ない大きさに収めることができていました。

また、AF速度もαシステムは他社の追随を許さないほどの完成度でした。

(とはいえミノルタもAFメインのα-7000に対してMFの補助としてのAFというコンセプトのα-9000をフラッグシップとして出していましたけれど)


そこでキヤノンは1987年に大きな決断を下します。

FDマウントからEFマウントへの完全な転換です。


FDマウントからEFマウントへの転換はまさに革命と言えるものでした。

FDマウントのレンズ装着がスピゴット式だったのに対し、EFマウントは多くのマウントが採用するバヨネット式になり、装着が容易になりました。(NewFDの時点でほとんどバヨネット式みたいなものでしたけどね。)

さらにマウント径は44mmと当時の35mm一眼レフの中では最大の大きさでした。

極め付けは完全なるレンズ内モーター式AFです。当時AF化を目指したマウントは主にFマウント、Kマウントがありますが、彼らはα同様ボディ内モーターとカムの併用でした。

現代のレンズを見てみると、ほぼ全てのAFレンズがレンズ内モーターであり、FマウントやKマウント、αマウントですらレンズ内モーターへと移行していきました。


さらにEFマウントはその高機能な電子接点を活かし、絞り機構も完全に電子化してしまいました。それまでの絞り機構は、ほとんど全てのマウントがボディ側のピンとの機械的な連動に依存していましたから(αシステムですらそうでした)、これは画期的な取り組みであったといえます。


1987年の時点で完全にレンズ内モーター・電磁絞りに移行したというのは素晴らしい先見の明であったと言えるでしょう。

Electro-Focusの頭文字をとってEFマウントと名付けたのも、キヤノンの自信が見てとれるような気がします。


こうして生まれたEFマウントは、1987年3月に産声を上げます。

その初号機がEOS 650です。

同時に発売されたレンズは

EF50mm F1.8

・EF35-105mm F3.5-4.5

・EF35-70mm F3.5-4.5

の3本でした。

EF50mmF1.8は距離計の省略やマウント部のプラスチック化といったコストカットを経て1990年にリニューアルされ、2015年のEF50mm F1.8 STMへの更新がなされるまでの28年間にわたって販売されたロングセラー商品となりました。

EF35-70mm F3.5-4.5は未だに中心部の解像度が現代レンズにも劣らないとかなんとか。


こうして華々しく産声を上げたEOSシステムは、2020年のEOS Kiss X10iまで(※2025年4月現在)33年続いた大ヒットシステムへと成長していくことになります。

2号機以降はまたいつか。



 
 
 

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